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​監督プロフィール

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1955年、東京都江戸川区に生まれる。1973年、国立館山海員学校卒業。外航船ケミカルタンカーの船員になる。1975年、イタリアペルージア外国人のための語学大学に留学。帰国後、人形劇団員、ビデオ制作会社勤務を経て、

1981年フリーの映画助監督になる。主に近代映画協会で新藤兼人監督に就く。1986年テレビ番組の演出を手がけ、1992年自主制作を始め現在に至る。

1992年『ある同姓同名者からの手紙』(92年度毎日映画コンクール記録文化賞・短編、第10回日本映画復興会議奨励賞)

1999年『パーフェクト9〜ある障害者野球チームの記録〜』(2000年台湾国際ドキュメンタリー映画祭招待作品)

2004年『風といのちの詩』

2013年『疎開した四〇万冊の図書』(文部科学省選定)

2016年『ウォーナーの謎のリスト』(京都国際映画祭2016招待作品)その他テレビ番組を多数演出。

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映画製作に懸ける監督の思い

2050年には日本の人口は1億400万人余りになり、東京を除くすべての道府県で2020年より減少するといわれている。少子化、高齢化、過疎化は、止めることの難しい日本の大きな課題である。だが、人々は、生まれた土地を愛し、その地で精いっぱい生きていこうとしている。この映画は、日本のそうした大きな課題を取り上げ、奮闘努力を惜しまない人々にスポット当てるものだ。この映画の舞台ではない地域にも、同じような問題があるはずである。恐れを知らない我々、製作者たちは、この映画を「世界一の夕陽」(仮題)と名付けた。もちろん異論の声が多いことも承知である。きっと、みなさんが住む土地でも世界一の夕陽は輝いているに違いない。それでも富崎地区に暮らす人々にとっては、海に沈む夕陽は世界一なのである。それは間違いなく「そうだ」というはずである。富崎地区は千葉県の南端に位置する地域である。しかし、見方を変え日本地図を逆さまにすると、そこは日本のてっぺんに位置する場所になる。ここから太平洋に向かって世界に羽ばたいていった漁民たちは数多くいた。今は過疎になっているが、移住者も近年増えている。ここに暮らす人々を見つめることで、日本の未来が見えてくる。そんな映画にしたい。

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映画製作に懸ける製作者の思い

 昨今いわれていることは、GDPの上昇が必ずしも人間の幸福では無いという事であり、むしろ自給自足に近いライフスタイルが人にとってより充実した一生を送れると言う事なのかもしれない。

 今更100年前のライフスタイルに戻せはしないが、少しだけ考え方を変えてライフスタイルを見直してみる必要性が有ると思われる。

 買い物、流行などは今や何処にいても手に入る時代に大都会に出て行かないと叶わない時代では無くなった今日、都会で暮らす意義に疑問が投げかけられている。

なにゆえに都会を人は目指すか?

 それは裕福と便利性を求めて仕事を手段としているためである、果たして摩天楼の生活と混雑した大都会が本当に人を幸せにするのか?

もし生まれた田舎に仕事が有って都会に出る必要がなければ皆が故郷を捨てて過疎化に成ることも無いはずである。

 つまり働ける産業が有れば核家族化も過疎化も回避できる事は間違いのないことだろう。

地域に産業(働く場所)を創生する等と言うと、政治家の役割で一庶民には不可能と思うのは当然と言えるが、まずは自分の住んでいる環境から何ができるか自治体に任せっきりではなく住んで居る住民から行動を起こす必要が有る。

 但し、生まれてから同じ場所に居ると、井の中の蛙ではないが、自分自身が居る地域の良さが当たり前になり、澄んだ水も海山の幸にも有難味が無くなる。

本来地域性によって固有の価値が有るのに気が付かず、産業創生の源を見失っている(気づか無い)のが実情といえる。

 そこで、一例として千葉県館山市の富崎地区にスポットを当て現状が将来どのように改善良化して行けるかを期待して映画作成に臨む。

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